一房の髪にキス

 静かな空間にシャーペンを走らせたりテキストを捲る音だけが響く。こういう時間は結構好き。順調に問題を解き進めていたけれど、一つ難しい応用問題に当たりシャーペンを動かしていた手が止まる。ええと、この解き方殺せんせーは何と言っていたっけ。鞄から授業用のノートを取り出して授業中のメモを探していると、隣に座っていた浅野くんがふとこちらを振り向いた。

「どうしたんだい、生駒さん。どこかわからないところがあった?」
「あ、うん。これなんだけど……」

 開いていたノートを浅野くんの方へ寄せる。浅野くんは自分のテキストを脇へ置いて、私のノートを覗き込んだ。

 今日、授業が終わった後いつものように帰っていたんだけど、本校舎と旧校舎の別れ道で浅野くんと偶然出会った。少し立ち話をしている間に勉強の話になり、よかったら久しぶりに一緒に勉強しないかと誘われたのだ。そして本校舎の図書室は問題集が豊富だからということで、さっそく本校舎へ向かったのだ。久しぶりの本校舎の図書室は相変わらず生徒でいっぱいだった。奥のペア学習の部屋へ向かう浅野くんの後について行ったのだけど、その途中の周りの視線が、なんだか痛いくらいだったなぁ……。
 なんてことをぼんやり思い返していると、浅野くんが私の顔を覗き込んで「生駒さん?」とひらひら手を振ってきた。

「あっごめんなさい、ぼうっとしてて」
「いや、いいよ。それでこの問題なんだけど」
「うん」

 テキストの問題に意識を戻す。浅野くんの説明は毎度のことながらわかりやすい。貰ったヒントを元に解いてみると今度はすらすら解くことができた。お礼を言うと「どういたしまして」とにこりと微笑まれる。もう一度今の問題を復習し、次に進もうとテキストに向かい直した。

「……?どうしたの?浅野くん」

 不意に髪の毛に触れられる感じがしたので振り返る。浅野くんの手が私の方へと伸ばされていたから、やっぱり思った通りだったみたい。どうしたのと再度尋ねると、浅野くんはまたにこりと笑んで私の結った髪を梳くように撫でた。

生駒さんの髪って綺麗だよね」
「そ、そうかな?」
「うん。いつも自分で結ってるの?」
「んー…自分でやったり友達にやってもらったり。今日のは友達が結ってくれたんだよ」
「へえ…」

 友達とは言わずもがな菅谷のことで。私は決して不器用ではないと思うんだけど、菅谷が結ってくれた時の方が綺麗にまとまっている気がするんだよね。例えば今日みたく。そんなことを思いながら毛先を指にくるりと絡ませる。すると、私をじっと見詰めていた浅野くんは、ヘアゴムを引っ張って髪を解いてしまった。

「あっ浅野くん!?」
「ごめん、痛かった?」
「そ、そうじゃなくって、どうして解いちゃうの?」
「……なんとなくさ」

 なんとなくだけど、はぐらかされた気がする。だけど満足そうに私の髪を梳く浅野くんにそれ以上文句を言うことも出来ず困ってしまった。

「僕が結い直してもいいかい?」
「浅野くんできるの?」
「やったことはないけど、たぶん大丈夫じゃないかな」
「……じゃあ、お願いします」

 別におろしたままでもいいんだけど……まぁいっか。浅野くんも器用そうだし、なにやら楽しそうな感じがするから。ヘアゴムと鞄から取り出した櫛を渡し、私は前へ向き直す。どんな感じにしてくれるのかな、なんて少しわくわくしながら待っていると、今度は髪を軽く引っ張られる感覚がした。絡まっていたかな?と後ろを振り返ると思った以上に浅野くんの顔が近くにあり、驚いてついのけぞってしまった。

「ごめん。びっくりさせたかな?」
「う、うん。何かなってた?」
「いいや、気にしないで」

 浅野くんは私の反応におかしそうに笑った。な、なんだか今日の浅野くんは随分ご機嫌だなぁ……。ちょっぴり不思議に思いつつ、前を向くよう促されたのでそうした。