雨恋傘

 毎週水曜日の放課後は居残って勉強する日ってなんとなく決めている。山の上にある旧校舎は、雑音が少なく集中するには結構持ってこいな環境なのだ。まあ、ちょっとだけ暑かったりするけれど。
 掃除が終わり、自分の席に座り直して教科書を取り出す。今日は……うーん、英語かな。たまにクラスの誰かと一緒だったりするけれど、今日は他に残る人はいない模様。先に帰って行く菅谷やクラスメイト達に手を振って、パラパラと教科書を捲った。

「おや、今日は生駒さん、残る日でしたね」
「そうです。殺せんせーは、これからお出掛けですか?」
「はい。お給料も入りましたし、世界のスイーツ巡りに行こうかと思いまして」
「ふふ、明日感想聞かせてくださいね」
「ええ。そうだ、今日は夕方から雨が降るそうですから、あまり遅くならない内に帰るんですよ」
「はぁい」

 ふらりと教室に立ち寄った殺せんせーは、そう言ってご機嫌な様子で出て行った。世界のスイーツ巡りかぁ。いいなあ、マッハ20が羨ましい。
 ところで今日は雨が降るのか。朝のニュースで見落としていた。確かに空の雲行きはじわじわと怪しくなってきている。傘を持って来てないし、置き傘はこの前使って家に持って帰っちゃったし、今日は雨が降る前に帰るようにしようかな。




 ――…と思ってたのに、いつの間にか眠ってしまったらしい私は雨音で目を覚ました。はっとなって窓の外を見ると、ああ、結構降ってきちゃってる。どうやって帰ろう……。そう頭を抱えた時、隣の席に人の気配を感じた。

「おはよー、生駒さん」
「!?前原くん!?」

 驚いて思わず立ち上がる私に、前原くんは机に頬杖をついたままにこりと笑った。というか、とっくに帰ったはずの彼がどうしてここに!?ドキドキドキと速まる鼓動を押さえながら聞くと、一度帰ったのだけど忘れ物したことを思い出して戻って来たのだと言った。そしたら教室では私がのんきに眠ってて、前原くんはそのまま帰ろうとしたそうだけど――…

「そしたら雨降ってきてさ。生駒さん、傘持って来てなかったよな?」
「うん……。そ、それで、もしかして待っててくれたの?起こしてくれてよかったのに……」
「んーでも、気持ち良さそうに寝てたから」

 「起こしにくくって」と前原くんは笑った。途端、私の顔に更に熱が集まる。も、もしかして寝顔見られた……!?うぁあああなんで居眠りなんかしちゃってたの私!恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていると、ガタッと椅子を引く音が聞こえた。

「さて、もう暗くなるし帰ろーぜ」
「えっ、あ、うん!」

 ただでさえ雨のため空は曇り空だし、旧校舎は山を降りて行かなくちゃいけないから、暗くなってから帰るのはあまり好ましくない。前原くんが教室の扉の辺りで待ってくれているので、私は急いで教科書なんかを鞄に仕舞った。……って私傘、ないけどどうやって帰ろう……。前原くんが折畳み傘を持っていたら、申し訳ないけど貸してもらおうかな。


****


「うわ、結構降ってきたなー。生駒さんそっち濡れてない?」
「ぜっ全然大丈夫だよっ!」

 学校を後にした私と前原くんは並んで歩いて帰っていた。えと、その、あ、相合傘をして……。

 学校を出る時に前原くんが傘を一本しか持っていないことを聞いて、私はもし教員室に傘があったら借りて行こうかと考えた。前原くんに一言断って引き返そうとしたんだけど、傘をさして先に外へ出ていた前原くんは、私を自分の隣へと引っ張った。それで、「家まで送るよ」って。悪いからいいよと言ったんだけど、もともと送るつもりで私が起きるのを待っていたと言われると断れなくなり、こうしてお言葉に甘えているところだ。

「今日の放課後も殺せんせー殺しに行ったんだけど、まあいつも通り躱されてさー。つか殺せんせー妙にうきうきしてたけど、生駒さん何か知ってる?」
「あっ、世界のスイーツ巡りしてくるって言ってたから、それかな?」
「あーなるほど。殺せんせーほんと甘いもん好きだよなー」

 なんてことのない会話をしながらも、胸の鼓動は相変わらずうるさい。でも、しょうがないよ!一本の傘の下を二人で歩いてるから、いつもより距離が近いんだもん……!前原くんの肩が当たる度にドキドキしてしまう。酷い雨の中だけど傘の下のこの空間は不思議なくらい静かで、心臓の音が聞こえないか心配になっちゃうよ。
 それに、何故だかいつもより前原くんの声が綺麗というかなんと言うか、すごく意識してしまう。なんでだろう。や、やっぱり距離が近いからかな……?そっと前原くんを見上げると、すぐに気付かれ「ん?」と首を傾げられた。

「どうかした?あ、傘もーちょいそっちやった方がいい?」
「ううん違うの、大丈夫!」

 もうすでに私が濡れないように傘を傾けてくれていたのに、これ以上は前原くんがびしょ濡れになっちゃう!否定して更に傾けられた傘を戻そうとした時、前原くんの手に触れた。慌てて謝って手を離す。曖昧な返事をして顔を背けた前原くんの頬も、微かに染まっていたように見えたのは、私の気のせいだろうか。

「え、えーと、生駒さんの家ってこっち曲がるっけ?」
「うっ、うん。そうだよ」

 前原くんが指差す曲がり角を曲がる。それから、沈黙も挟みつつ私達は並んで歩いた。ほんとう、緊張でいっぱいいっぱいだけど、この時間がずっと続けばいいなって。まだ家に着かないで欲しいなって思っちゃった。