序章3

 昨日遊びに来ていた菅谷が帰ってから、家に元の担任の先生から電話があった。相変わらずぶっきらぼうな物言いで、転級などに関する手続きがあるから明日(つまり今日)の放課後に新校舎へ来るようにとのこと。……そういうのがあるならもっと早く教えてほしかった。ついそんな文句を言いたくなったが、最後に会った時に先生が面倒だのなんだのブツブツ言っていたのを思い出し、心の中でこっそり思うに留めておいた。

 それで放課後、私はおよそ二週間ぶりに本校舎へ足を運んだ。きっとこれからは月一回の全校集会の時や試験の時ぐらいにしか来なくなるんだろう。職員室へ入るとあからさまに不機嫌な様子の先生に迎えられた。そして、気まずい雰囲気のなか書類などを書き終え、数十分後には先生のもとを後にした。

「(早く旧校舎へ行かなきゃ……)」

 もうE組もとっくに帰りのホームルームまで終わってしまってるだろう。本校舎へ寄らないといけなくなったことは菅谷に伝えてある。今から山の上にある旧校舎まで行くのは大変だな、なんて思いながら、菅谷に今から行くとのメールを送った。

生駒さん」
「!浅野、くん?」

 ケータイを鞄に仕舞って少し急ぎ足で靴箱へ向かおうとしたら、知っている声に呼び止められた。振り返るとやっぱり浅野くんがいて、「久しぶり」とにこりと笑った。

「……どうしたの?」
「今日の放課後、君が学校へ来るって先生に聞いていたからね。元気かなと思って」
「うん……まあまあかな」

 メールは数回したけれど、浅野くんとこうして向き合って話をするのは久しぶりだ。メールでは励ましてくれていたけれど、最後に教室で見た無表情の浅野くんとか、私がE組行きになった事実を思い出してなんとなく気まずくなる。だけど浅野くんは相変わらずニコニコして「そっか」と返した。

「あの……それだけだったら行っていいかな?私ちょっと用事が……」
「何かあるのかい?」
「う、うん。ちょっと旧校舎に……」

 約束もあるし、浅野くんが私と居るところを誰かに見られてしまってはいけないと思いもう行こうとした。しかし、「旧校舎へ」と言うと浅野くんの目がすっと細くなった。それにまたドキリとしてしまう。

「ねえ、生駒さんの頼みなら、生駒さんをA組に戻してくれるよう僕が先生や理事長を説得してあげられるよ」
「……なに言ってるの?」

 妙な間の後、浅野くんはそんな思いもしない発言をした。驚いて目を見開く私に対して浅野くんはやっぱり静かに笑むだけ。……今のはつまり、私のE組行きを取り消してあげるよってこと……?確かに成績優秀で生徒会長を務める浅野くんが言えば、担任の先生は首を縦に振るかもしれない。理事長先生の方は浅野くんのお父さんだから説得しやすい……のかな?でもなんでそんなこと言うんだろう。エンドのE組に落ちた私なのに。戸惑う私の言いたいことを、浅野くんは鋭く察したようだ。

「君という好敵手を失ってつまらないからさ」
「……浅野くん、私が成績落ちてE組行きになったんじゃないって知ってるでしょう?A組じゃなくたって今まで通り五位内目指して頑張るつもりだよ」
「あんな環境の旧校舎なのに?」

 E組のいる旧校舎が劣悪な環境であることは、椚ヶ丘の人間ならみんな知っていることだ。そして、E組に落とされた生徒には、定期テストで50位以内に入りそして元の担任が復帰を認めれば本校舎に戻ることができる、という救済措置が一応ある。しかし、本校舎に比べてあらゆる面で酷く劣る旧校舎にいて50位以内を目指すのは難しいらしく、復帰のできる生徒は少ない。それも周知のこと。

「もっとも、君なら新学期始まってすぐの試験で戻って来られると思っているけどね」
「……」

 私のE組行きの原因は成績ではない。だが、ついさっき浅野くんに言った通り、私はE組に行ったって今までの成績を落とさないつもりだ。旧校舎の環境がどうであれ頑張るつもり。決まりに従うなら、浅野くんが行ってくれたようにすぐ本校舎へ戻ることも不可ではないだろう。でも――

 浅野くんから視線を逸らした私の頭の中では、二年生の終わりに“あったこと”がフラッシュバックのように蘇っていた。ぐっと鞄を持つ手に力が入る。

「……ど…ら、ない…っ」
「え…?」
「私は、絶対A組なんかに戻らないから!」

 そして踵を返し、私は浅野くんから離れた。ごめんね、浅野くん。浅野くんや他の五英傑のみんながとても良くしてくれたことを忘れたわけではない。だけど私にはもう、A組に戻る気はとっくにないんだ。




「はぁ……っ!」

 夢中で走っていたらいつの間にやら旧校舎と本校舎の分かれ道のところまで来ていたようだ。標識の示す旧校舎の方へ目を向ける。旧校舎、E組。これからの私の居場所。私はそこで、A組では学べなかったことを学びたい。そして――得られなかったものを、手に入れたいの。
 山の上にある旧校舎は、ここから1キロメートルあるみたい。遠いなあ……。だけど、気持ちを落ち着けるにはちょうどいいだろう。私は本校舎を振り返らず、旧校舎へ向かって真っ直ぐ歩き始めた。