「ふあぁ……」
思いがけず大きな欠伸が出て慌てて口を押さえた。うう、眠い。昨日は春休み最終日だというのについつい勉強に熱が入っちゃって、夜寝るのも遅くなってしまったのだ。先程の欠伸は誰にも見られていなかったらしく、ほっと息をついた。……というか、なんだかんだ道行く人みんなそわそわしているというか。ある人は熱心に、またある人は驚いた顔で携帯や新聞を食い入るように見ている。あ、今朝は新聞見忘れたちゃった。テレビは点いてたけど、新学期にそわそわしてたから内容頭に入ってないや。なにか大事件でもあったのかなあ。
「叶!!」
大事件といっても私のような学生には無関係なことでしょう。学校着いたら誰かに聞いてみよう。そう思いながらいつものように学校へ向かって歩いていると、私を呼ぶ菅谷の声が聞こえた。振り返ると、走って来たらしい菅谷は私の肩に手を乗せてぜえはあ息を吐いた。
「どうしたの?」
「ちょ……、まっ、て……」
なんとか息を落ちつけようとする菅谷の背中を撫でる。珍しく興奮した様子だ。どうしたんだろう。ようやく落ち着くと菅谷は私の肩を掴んだまま、ばっと勢い良く顔をあげた。
「お前昨日とか今朝ニュース見た?」
「?まだ見てない」
「だと思った。いいか?聞いて驚くなよ?」
「う、うん」
どうしよう菅谷がいつもの菅谷じゃない。こんなに興奮してるってことは、アート関連で何かビックニュースがあったのかなって思ったけど……。菅谷の顔が真剣なので、とりあえず黙って次の言葉を待った。
「月が、破壊された」
・・・・・・。
「ああ新しい映画の宣伝?」
「ちげーって!」
思ったままを口にすると、両肩に乗せられた手に今度は両頬をべちんと挟まれた。い、痛い。なんて仕打ちだ!菅谷は「ったく……」とぼやいて自分の携帯をいじり出す。私は頬を撫でながら菅谷を睨んでいた。
「ほら」
「……ほんとだ」
「なっ?」
菅谷が見せてきたニュース記事には、確かにそう書かれていた。「月が爆発し 、七割方蒸発してしまった」と……。私達はもう三日月しか見れないらしい。
「朝からテレビもネットもこの話題で持ち切りだぜ。なんで爆発したのかはわかんねーみたいだけど…」
「うん……。ねえ菅谷」
「ん?」
「これからお月見どうなるんだろーねえ」
「………」
必ずしもその日が満月とは限らないらしいけど、三日月じゃあきっと違和感あるよね。そう、また思ったことをぽつりと呟く。返事が無いのでもう一度呼んでみると、菅谷は顔を覆ってしゃがみ込んでいた。
「えっ、どうしたの」
「いや……。叶ってさ、たまにちょっとズレてるよな。天然っつーの?」
「失礼な」
菅谷は「はは……」と力が抜けたように笑うと立ち上がって私の頭を撫でた。あれ、怒るとこ?ここ。
「なんか気ィ抜けて落ち着いたわ。学校行こーぜ」
「あ、うん」
結局その後は、さすがに月爆発の話題は尽きなかったけれど、いつも通りお喋りしながら旧校舎へ向かった。それにしても月爆発かあ……。どうしてそんなことになっちゃったんだろう。いち学生の私にはいくら考えたって分らないけど、偉い人達はこれから大変だろうな。
そんな風に、この時の私はそんな事件なんて直接自分に関係しないだろうと思ってた。私だけじゃない。菅谷も、E組の他のみんなもそうだったはず。だけどこれから数十分後、私達にとんでもない知らせが入る。
****
「初めまして、私が月を爆った犯人です。来年には地球も爆る予定です。君達の担任になったのでどうぞよろしく」
まず五、六ヶ所ほどツッこませて!
そう思ったのは私だけじゃないはず。
新学期の朝の教室は、やっぱり月爆発の話題で持ち切りだった。あんまり盛り上がるものだから予鈴が鳴るのも聞こえないくらいだったんだけど、それから本鈴が鳴っても先生は一向に教室へ来なかった。どうしたんだろうね?と、やっと違う話題に移りかけた時に教室の扉が開いた。
教室に入ってきたのは先生ではなく、黒いスーツ姿の大人の人達が数人と、一等背が高く黄色い肌をしてタコの様な足を持った人……?だった。予想だにしなかった状況に教室はしんと静まり返る。片岡さんや磯貝くんも驚いた顔をしているのを見たところ、この事は学級委員長の二人にも知らされていなかったらしい。そして、「ヌルフフ」と不思議な笑い声を発したその黄色い人?は、教壇に立ち私達みんなを見回して冒頭の台詞を言った。
それでも状況と情報についていけなくて私達はやっぱり黙ったままだった。そこで次に黒スーツの男の人が教壇に立つ。「防衛省の烏間だ」と簡単に自己紹介を述べた。
「まずは、ここからの話は国家機密だと理解頂きたい。単刀直入に言う。この怪物を君達に殺して欲しい!!」
…………はい?
「…え、何スか?そいつ攻めて来た宇宙人か何かスか?」
「失礼な!生まれも育ちも地球ですよ!」
烏間さんの説明はすごく簡潔で丁寧なんだけど、内容が完全に私達の理解の範疇を越えていた。「殺す」という非日常的な言葉に教室中がぽかんとする中、思い切って質問したのは三村くんだ。それに対して黄色いタコのような、えっと怪物?は、顔面の色を変えて抗議する。ど、どうしよう。いまだにちゃんと話についていけない。
烏間さん曰く、あの怪物の言ったことは真実なのだそうだ。月の次は、来年の3月に地球を破壊するということも。それは各国首脳だけが知っていることで世界がパニックになる前に殺す努力をしているらしい。
「つまり、暗殺だ」
烏間さんはそう言うとスーツの上着から取り出したナイフをその怪物に向けて振り上げた。しかし、それは素早い動きで避けられてしまう。烏間さんのナイフは一向に当たらず、それどころか丁寧に眉毛の手入れをされる始末だった。この超生物の最高速度は、マッハ20……らしい。
「つまり、こいつが本気で逃げれば我々は破滅の時まで手も足も出ない」
「ま、それでは面白くないのでね、私から国に提案したのです。殺されるのはゴメンですが…椚ヶ丘中学校3年E組の担任ならやってもいいと」
え、なんで?
「こいつの狙いはわからん。だが政府はやむなく承諾した。君達生徒に絶対に危害を加えない事が条件だ」
その条件下において、教師として学校に来るのなら烏間さん達は監視ができ、30人もの人間が至近距離からあれを殺すチャンスを得ることができる。……そりゃあ、政府の人達にとってここは絶好の場所かもしれない。なんてったって隔離された場所なんだもん。だけど、どうしてあの怪物がうちの担任に?そして、私達に暗殺をしろだなんて。
「成功報酬は百億円!」
「「「!?」」」
「(ひゃっ……!?)」
「当然の額だ。暗殺の成功は冗談抜きで地球を救う事なのだから」
みんなの疑問は烏間さんのこの一言に掻き消されてしまった。「ひゃく……」と教室のどこかから驚愕した声が聞こえる。とはいえ、あの怪物は私達を完全にナメ切っているらしい。(烏間さんはそれを幸いなことだと言ったけど。)あ、ナメてる時は顔が緑のしましまになるんだって。あの皮膚はいったいどんな仕組みになってるんだろう。
「当然でしょう。国が殺れない私を君達が殺れるわけがない。最新鋭の戦闘機に襲われた時も…逆に空中でワックスをかけてやりましたよ」
烏間さんの眉毛といい、手入れ好きなのかなあの人。じゃなくて。暗殺しろだなんて言われても、私も到底私達が殺せると思えないんだけどなあ……。だけど烏間さんは、ナメてる隙を突いて欲しいという。そして、私達には無害だけどあの怪物には効くというナイフと銃の弾を見せてきた。うぅん……。
「君達の家族や友人には絶対に秘密だ。とにかく時間がない。地球が消えれば逃げる場所などどこにも無い!」
「そういう事です。さあ皆さん、残された一年を有意義に過ごしましょう!」
それから烏間さんが指示をし、他のスーツの人達が私達にナイフと銃と弾を配り始める。私達は隣りの席同士で顔を見交わせた。ちらりと菅谷が私の方を向く。思うことは山のようにあるんだけど、今はただただ困惑するだけで何も言えなかった。
(不本意ながら、暗殺教室は始まりました。)