「イリーナ・イェラビッチと申します。皆さんよろしく!!」
5月と共に新しい先生がE組にやって来た。
イリーナ・イェラビッチというその女性は、英語の臨時教師としてE組の英語の半分を受け持つそうだ。とても美人でスタイルも抜群な彼女は、なぜだかずっと殺せんせーにくっついていた。人間の女の人にベタベタされた殺せんせーがどんな反応をするのか気になったところだけど……うん、普通にデレデレした顔だった。視線が彼女の胸元に向いていたようなのは気のせいということにしておこう。
殺せんせーはあんな感じだけど、私達は薄々勘づいていた。今の時期このE組に普通の先生が来るとは思えない。きっと暗殺に関係のある人だ。
「(プロの殺し屋……とか?)」
色仕掛けとかやるのかな。彼女ほどの美女ならきっと造作もないことだろう。現に超生物まで虜にしてしまっているようだし。
「えーと、イリーナ先生?授業始まるし教室戻ります?」
「授業?…ああ、各自適当に自習でもしてなさい。それと、ファーストネームで気安く呼ぶのやめてくれる?あのタコの前以外では先生を演じるつもりも無いし。『イェラビッチお姉様』と呼びなさい」
予想通りイリーナ・イェラビッチ先生は殺し屋だった。殺せんせーがいなくなると態度は一転し、煙草を銜えて素っ気無い感じになった。宣言通り先生を「演じて」授業をせず、自分の暗殺の計画に熱中する彼女に向けられるクラスのみんなの目は、酷く冷たいものだった。
5時間目。私達が体育の授業を受けている間に彼女はさっそく殺せんせーの暗殺を試みたのだけど、それはあっさり失敗に終わった。次の6時間目、やっぱり授業そっちのけで彼女は次の計画に取り掛かった。受験生なのだから授業をしないのなら殺せんせーと代わって欲しいとみんなの気持ちを代弁した磯貝くんを、彼女は鼻で笑い、そして言ってはいけないことを言ってしまった。
「それに聞けばあんた達E組って…この学校の落ちこぼれだそうじゃない。勉強なんて今さらしても意味無しでしょ」
「……」
教室の空気がピシリと強ばったのに彼女は気づかなかった。誰かが彼女にギリギリ当たらないところへ消しゴムを投げ、また誰かが「…出てけよ」と呟いたところでようやく自分に向けられるクラスの目に気がついた。それから教室が軽く荒れ、イリーナ・イェラビッチ先生が苦い顔をした烏間先生に連れて行かれるのはすぐだった。
彼女がいなくなってから、私達は一度校庭に出て気分転換がてら烏間先生に教えてもらった「暗殺バドミントン」を数試合行なった。そして教室に戻り、先生が誰も来ないのを良いことにみんな好き勝手におしゃべりに興じた。私は机に肘をついてぼんやりと、外を眺めていた。
あの人はこの後どうするんだろう。烏間先生は殺せんせー暗殺の為の殺し屋は他にもいるって言ってたから、また別の人が来ることになるのだろうか。プロの殺し屋として世界中を回ったという彼女に話を聞いてみたかったので、いなくなってしまったら残念だ。……ところで、肝心の殺せんせーはいったい何してるんだろう。軽いとはいえ学級崩壊してるんだから、少しくらい様子見に来てもいいものを……。
そんなことを考えていると、教室の扉が開かれイリーナ・イェラビッチ先生が再び現れた。みんな怪訝そうな顔をしながらも、先程と少し雰囲気の違う彼女に気づき大人しく席につく。彼女はとても中学生に読ませるには相応しくない英文をリピートさせた後、私達に実践的な会話術を教えてくれると言った。それから、おずおずと小さな声でだけど今までのことを謝ってくれた。
「なんか普通に先生になっちゃったな」
「もうビッチねえさんなんて呼べないね」
「……!!あんた達…わかってくれたのね」
クラスのみんなは、急にしおらしくなったイリーナ・イェラビッチ先生に驚いたあと笑い飛ばした。自分を受け入れてくれたみんなに先生は感動の涙を流す。だけど、「ビッチねえさん」の代わりの呼び名が「ビッチ先生」になった時、先生はビシリと固まった。
「えっ…と、ねぇキミ達。せっかくだからビッチから離れてみない?ホラ、気安くファーストネームで呼んでくれて構わないのよ」
「でもなぁ、もうすっかりビッチで固定されちゃったし」
「うん。イリーナ先生よりビッチ先生の方がしっくりくるよ」
変わりそうにない呼び方に彼女は当然、怒るのだった。教室中が騒がしくなる中、菅谷がくつくつ笑みを零す。
「一件落着、ってとこだな」
「うん。これからまた賑やかになりそうだね。えっと、ビッ……むぐっ」
「ビッチ先生も加わって」と言おうとしたが菅谷の手に口を押さえられてしまった。なにするのと抗議の意を込めて睨むと、菅谷はなぜか真剣な表情を返した。
「叶が『ビッチ』って言うのはなんか駄目だ」
「……はあ?」
「そんな冷めた目で見られても譲らねーぞ……!」
「それは俺も賛成だ。菅谷良いこと言う」
菅谷って偶に言うことわかんなくなる……。と思いながらつい生暖かい視線を向けていると、まさかの杉野くんからの賛同を得られた。ええぇ……と思っていると不破さんまでうんうんと真剣な顔で頷く。私が『ビッチ』って言うとそんなに変なの……?
****
それからは無事今日の授業が全て終わった。みんなに手を振って帰ろうと教室の扉を引くと、イリーナ先生にばったり会った。
「イリーナ先生さよなら。明日からも宜しくお願いします」
「!アンタはちゃんと呼んでくれるのね……!?」
改めて挨拶して帰ろうとしたが、イリーナ先生にぎゅっと両手を握られた。クラスのみんなに怒ったからか少し疲れている様子だった彼女だけど、今はキラキラと目を輝かせていた。
「アンタ、名前は!?」
「えっ……生駒、叶です」
「叶ねっ!叶は特別可愛がってあげるわ!こちらこそよろしく!」
「きゃっ!?」
とっても嬉しそうなイリーナ先生に押されていると今度はぎゅううっと抱き締められた。わあぁぁ!同性とはいえ少し恥ずかしいです!
「あーーっ!!ビッチ先生が生駒さんにセクハラしてる!」
「にゅやッ!イ、イリーナ先生も生駒さんも両方とも羨ましいですね……!よければ先生をその間に!」
「殺せんせーちょっと黙って」
教室に残ってたみんなや殺せんせーまで集まって廊下はわっと騒がしくなった。イリーナ先生は片方の腕で私を抱き締めたまま「うるさいわよアンタ達!」ともう片方の手の中指を突き立てる。みんなにわちゃわちゃにされながらも、本当また賑やかになるな、と嬉しくなった。