「ふぁあ……」
テストが終わって返却も済んだ次の日は、いつも心地良い達成感と安堵感に包まれる。加えて昨日は寝るのが遅くなったから、今朝は少しだけまだ眠たい。欠伸と共に自然に浮かんだ涙を拭いながら、私は菅谷が待ち合わせ場所に来るのを待っていた。E組になってからは一緒に登下校することが前より増えたなぁ。
「叶ー。悪ぃ、お待たせ」
「ん、おはよ」
やっと来た菅谷がひらひらと手を振る。まだ余裕の有る時間とは言え、ちょっとは急いでよね。そんな言葉は再び出た欠伸にかき消された。
「テスト終わったのにまた遅くまで勉強してたのか?」
「ううん別のこと。はいこれ」
「?なに?」
どことなく呆れたように笑う菅谷に否定して、私は鞄からあるものを取り出して渡した。受け取ったそれを一瞥してきょとんとする菅谷に、約束してたご褒美だと説明する。ちなみに何かと言うと、私が作ったクッキー。昨日夜更かしした理由だ。
「えっ……でもいいのかよ?俺50位内入れなかったし」
「今回はフェアじゃなかったもん。だけど、菅谷頑張ってたから」
「……サンキュー、すっげぇ嬉しい」
そう言って、本当に嬉しそうにはにかむ菅谷につられる。それから大事そうに鞄に仕舞おうとする手を慌てて止めた。
「どした?」
「えっとね……一枚だけでいいから今すぐ食べて?」
「なんで?」
「その……前原くんとか、磯貝くん達にも作って来たからもし美味しくなかったら……」
「つまり俺は毒見役かよー」
なんて口を尖らせながらも菅谷は仕舞いかけていたクッキーの包みを開けてくれた。一つ摘んで口の中に入れられる。咀嚼する様子を私はどきどきしながら見ていた。
「うっ……!?」
「えっ!?」
「なーんちゃってー」
「………っ!」
突然口を押さえて前屈みになったので、ものすごく慌てた。そ、そんな!しっかり確認もしたはずなのに!だけど悪戯っぽい笑みを向けられて、私は思わず菅谷の背中をばしばし叩いてやった。「いてててっ、悪い旨かったって!」なんて聞こえるけど、知らない!置いて行ってやる!
学校に着いてから、カルマくんに約束していた分をこっそり渡すことには成功した。だけど前原くんと磯貝くんには渡せないままお昼休みになってしまった。ご飯を急いで食べて校舎裏で二人を待つ。前原くん達のことは、今朝のお詫びにと菅谷が呼んで来てくれることになっている。
「生駒さーん?」
「!っあ、ごめんなさい、わざわざ呼び出しちゃって」
「いや、いいよ。どうかしたの?」
後ろから声を掛けられて、びっくりした弾みで持っていた袋がぐしゃりと音を立てる。慌てて直しながら振り向くと、前原くんと磯貝くんは不思議そうに首を傾げていた。手作りのクッキーですと渡してもピンときていないようなので、言っていたテストのご褒美だと付け足した。すると、磯貝くんが「約束通り50位内には入れなかったのに」と申し訳なさそうな顔をするので、今朝菅谷に言った言葉を繰り返した。
「うわー!!生駒さんの手作り!みんなに自慢できるな磯貝!」
「あっ……約束してた分しか作れなかったから、他のみんなには秘密でお願いします……」
「ああ、だから渡すの校舎裏で、なんだ」
磯貝くんが納得したように頷く隣で、前原くんは「ちぇーっ」と残念そうに唇を尖らせる。それから二人とも凄く嬉しそうにお礼を言ってくれた。うぁぁ……今ほっぺた真っ赤になってなきゃいいけど。
「って、俺達も生駒さんにご褒美約束してたよな。ごめん決めてなくって」
「えっ!?い、いいよ気にしないで!私も目標達成できなかったし……」
「さすが生駒さん意識高ェ……。でも俺らだけ貰うのも悪いしなー」
うーん……と考え込んでしまった二人に慌てる。そ、そんな、なんだか私からご褒美渡すことで自分の分もと催促してしまった気がして申し訳なくなる。決してそんなつもりではなかったのに。そ、そりゃあテスト前に二人からご褒美を約束されてモチベーション上がったし、期待してなかったと言えば嘘になるけどっ!
「そーだ!俺らと生駒さんでメアド交換するってのは!?」
突然前原くんが指をぱちんと鳴らしてこう言った。め、メアド……?ぽかんとする私に前原くんはにっと笑う。磯貝くんは呆れたように口を開いた。
「前原、それお前が交換したいだけだろ?生駒さんへのご褒美なんだから……」
「バレたか……。えーでも、生駒さんは嫌?」
「いや、じゃ、ない!全然っ。むしろ交換して欲しいです!」
こてんと首を傾ぐ前原くんに、私は思わず声を上擦らせながら答えた。磯貝くんはちょっと驚いた顔で私を見てから、「生駒さんがいいんなら……」とポケットからケータイを取り出した。二人からアドレスを教えてもらっている間どきどきが収まらなくって、ケータイをちゃんと握っていないと落としてしまいそうだった。
交換し終わってから前原くんは「いつでもメールも電話もしてくれていいから!」と言ってくれたけど、きっと緊張してなかなか送れないんじゃないかなって思った。
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「あ、あれ?おかしいな……」
放課後、帰る時になってラッピングしておいたクッキーが一袋余っているのに気がついた。なんとなく余分に作っておいたのは、こっそり殺せんせーにあげたのだけど(最近金欠らしくって、すごく喜ばれた。)、まだ残っていたとは。お、おかしいな、ぼんやりしてて数え間違えたのかな。
これ、どうしよう。いつものお礼ということで烏間先生渡しに行こうか。ああ駄目だ。それならイリーナ先生の分もないと失礼だもん。しょうがない、二個目になるけど菅谷にあげちゃおう。前原くんと磯貝くんに渡すの手伝ってくれたし。今日は先に帰ったみたいだから家まで届けに行こうかな。
そんなことを考えながら山を降り切ると、知っている後ろ姿を見つけた。少し迷ってから、追いかけて声をかける。
「浅野くんっ!」
「!……生駒さん?」
「こんにちは。あと、テストお疲れ様。今回も一位だったね」
「ああ、ありがとう。生駒さんもあんな環境で二位をとるなんて流石だよ」
「あはは……ありがとう?」
難しい顔をしていた浅野くんは、声をかけたのが私だとわかるとびっくりしたように目を見開いた。歩くスピードを私に合わせてくれた浅野くんとしばらく中間テストの話をする。(E組を『あんな』呼ばわりしたことに関しては、今日はスルーさせてもらおう。)それから鞄からクッキーの包みを取り出して渡す。浅野くんは反射的にそれを受け取りながら、不思議そうな顔で私を見た。
「これは……?」
「クッキーだよ。あ、浅野くん甘いもの苦手だった?」
「いや、苦手ではないけど……」
「でも、どうして」と私とクッキーを交互に見る浅野くんの顔には、なぜか困惑の色が伺える。私は何と答えるか少し迷って、誰にというわけでもなく一つ頷いてからこう言った。「次は負けないよ、って言う意思表示のような……?」我ながらなに言ってるのかわからない。黙ってしまった浅野くんからは、驚いていること以外は読み取れなかった。
「えっと……ちなみにそれ、私の手作りなの」
「!生駒さんの……?」
「うん。だから、その、もし口に合わなかったら適当に処分しちゃってね」
浅野くんはきっと、お家ではもっと良いお菓子とか食べてるんじゃないかな。そんな人に手作りのものを渡すなんておこがましい気もするけど。それを告げてから私は、今度はなぜか固まっている浅野くんに「ばいばい」と言って逃げるように走り出した。
だから私は、浅野くんが真っ赤な顔をしてクッキーの包みを大事そうに握っていただなんて、ちっとも気づかなかった。