湿気の時間

 雨降りの日が続く。梅雨の季節に入ったのだ。通学路に咲く紫陽花は鮮やかで綺麗だし、お気に入りの傘を使えるしで雨の日はそんなに嫌いではないかな。湿気だとか、古いせいで雨漏りする校舎はちょっと気が滅入っちゃうけど。

生駒さん、今日も帰りは菅谷と一緒?」
「ううん、今日は別だよ」
「じゃあじゃあ!生駒さんも一緒に帰らない?」

 掃除を終えて帰り支度をしていると、岡野さんとカエデちゃんに声を掛けられた。それから、新しく出来たアイスクリーム屋さんに寄らないかって。カエデちゃんの目がきらきら輝いている。聞けば渚くんと杉野くんも一緒だそうだ。断る理由なんてないし、私もそのアイスを食べてみたいので喜んでその誘いに乗った。

「なー、上に乗ってるイチゴくれよ」
「ダメ!!おいしいモノは一番最後に食べる派なの!!」

 アイスクリーム屋さんに寄って五人でおしゃべりしながら帰っていた。甘いものが大好きなカエデちゃんは大事に大事に食べながら、ちょっかいを出してくる杉野くんからイチゴを守っている。それを笑いながら眺めている渚くんに「美味しかったね」と話しかけてみる。

「うん。また来たいね」
「そうだね。あ、菅谷にも教えてあげよー」
生駒さんと菅谷君って本当に仲良いよね」

 これから暑くなることだし、放課後とか休みの日に誘って行こうかなぁ。なんて思っていると、渚くんは改めてといった風にそう言ってくすくす笑った。そんなに……かな?首を傾げていると渚くんはまた一層笑みを深めた。

「ねぇ、あれ」
「あ。前原じゃんか」

 すると、ふと立ち止まった岡野さんの声に杉野くんが続く。「前原」という言葉に即座に反応してしまって、隣の渚くんにおかしく思われないよう自然を装いながら杉野くんと岡野さんが見ている方を振り向いた。前原くんは、椚ヶ丘の制服を着た女の子と一緒だった。

「一緒にいんのは確か……、C組の土屋果穂」
「はっはー。相変わらずお盛んだね彼は」
「………お盛ん?」
「あれ、生駒さん知らない?前原ってけっこーカノジョ取っ替え引っ替えして……いって!なにすんだよ岡野!」
「うるさい杉野」

 岡野さんとカエデちゃんが気遣わしげな表情でこちらを伺ってくる。前原くん……そうなんだ、知らなかった。だけど前原くんってかっこいいしスポーツも万能だし、成績だってうちの学校じゃなければきっと上位の方。モテないわけ、ないよね。

「(私、よく考えたら前原くんのことあまり知らないかも……)」

 一本の傘の下で楽しそうにおしゃべりする前原くんと土屋さんを見て、ちくりと胸が痛む。………ところで、いつの間にか近くにいた殺せんせーが、微笑ましげな暖かい眼差しで私を見つつ手元のノートになにか書き込んでいることには、文句のひとつでも言った方がいいのかな。

「あれェ?果穂じゃん。何してんだよ」
「あっ!!せ、瀬尾君!!」
「……?」

 そんなことをぼんやり考えていると、知っている声が聞こえたので再びあちらへ目を向ける。瀬尾くん?と、生徒会の面々だ。ぎくりと肩を跳ねさせた土屋さんは、慌てたように前原くんと組んでいた腕を振りほどいた。なんとなく通り過ぎるタイミングを失った私達は、そのまま彼らの様子を眺める。土屋さんはなにやら言い訳じみたことを言いながら、瀬尾くんの方へと駆け寄って行った。……うん?どういうこと?

「あー。そゆ事ね」

 土屋さんの様子からなにか察したのか、前原くんは溜め息を吐きながらそう言った。少し離れた距離と雨音のために途切れ途切れしか聞こえない会話と、あの雰囲気から想像するに――修羅場、というやつなのかな。彼女が前原くんと瀬尾くんを二股に掛けていたってこと?……なんだか心の中がもやっとする。

「果穂おまえ…!」
「ち、違うって!そんなんじゃない!!そんなんじゃ…、………」

 前原くんと瀬尾くんの間に立つ土屋さんは、酷く焦った様子で俯いた。しかし、なんとも言えない嫌な笑みを浮かべたかと思うと、突然毅然とした表情で前原くんを見据えた。

「あのね、自分が悪いってわかってるの?努力不足で遠いE組に飛ばされた前原君」

 開き直ったらしい彼女が言うことには、前原くんがいるのに新しい彼氏をつくったのは、椚ヶ丘高校へ進む資格のないE組に行った前原くんとはその内接点がなくなるからとのこと。はっきり別れを告げなかったのは、E組に落ちた前原くんを気遣ってだと言う。だけど、完全に瀬尾くん側についた土屋さんは、前原くんを見下したように笑っていた。

 手にちくりと痛みを感じたので見てみると、爪が手の平に食い込んでいた。いつの間にか拳を握りしめていたらしい。………文句を、言いに行ってもいいかな。私は彼らから見れば完全に部外者だけど、でも。
 そう悩んでいると、瀬尾くんが前原くんを蹴り飛ばすところを目撃してしまった。それに続くようにして荒木くんや他の人も前原くんを足蹴にする。………っ、酷い!「あいつら……!」と駆け出そうとした杉野くんに着いて行こうとした。

「やめなさい」
「……!!」

 その時、彼らのすぐ脇に車が留まり理事長先生が降りて来た。瀬尾くん達は途端に静かになる。理事長先生は前原くんにハンカチを差し出した後、なにか言って去って行った。その後みんなは前原くんに暴力を振るうのを止めたのだけど、土屋さんは冷たい一瞥と一言を前原くんに投げて、楽しそうに笑いながら生徒会のみんなと帰っていった。

「前原!!へーきか!?」
「…おまえら。見てたんかい」

 それからようやく私達はそちらへ駆け寄った。前原くんはカッと頬を赤らめたけど、傍観していた私達ほど怒っている様子はなく、むしろどこか達観した表情だった。
 前原くんは、彼女がビッチだったことに関しては別にいいらしい。それよりも、相手がE組だからという理由だけで無理やりにでも自分を正当化し、醜いところを嫌と言うほど見せつけて行かれたことについて考えを巡らせていたそうだ。

「……なんかさ、悲しいし恐えよ。ヒトって皆ああなのかな。相手が弱いと見たら……俺もああいう事しちゃうのかな」
「………」

 そう言う前原くんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。私達の間に沈黙が流れる。たぶん、みんな同じことを思ってるんじゃないかな。もしも自分自身がE組じゃなかったら、E組のみんなとどう接していたか。それは私も考えたことがある。私は―…例えA組にいたままでも、E組の人達には今と変わらない態度でいた、と思いたいな。友達が居るとか居ないとか関係なく。そんなもしもを考えていてもしょうがないんだけど……。
 ふと、微かに圧迫感を感じた。渚くんの悲鳴に振り返ってみると、殺せんせーが今日の授業中よりも更に大きく膨れていた。驚く私達に、殺せんせーは一言こう言う。「仕返しです」

「理不尽な屈辱を受けたのです。力無き者は泣き寝入りする所ですが……、君達には力がある。気付かれず証拠も残さず標的を仕留める、暗殺者の力が」
「………。ははっ、何企んでんだよ殺せんせー」
「屈辱には屈辱を。彼女達をとびっきり恥ずかしい目に逢わせましょう」

 前原くんや私達も殺せんせーが何をしようと言っているのか察した。やり返すことが目的とはいえ暗殺の技術を一般生徒に対して使っていいのかな、後で烏間先生に怒られちゃいそう。なんてことを考えるのはまた後で、だ。

 にやりと笑む殺せんせーにつられて、前原くん除く私達みんなも同じような表情を浮かべた。



「決行は明日です。何名かに協力を仰いで作戦会議をしましょう。――ですから、その右手に構えた対先生用ナイフは仕舞いましょうね、生駒さん。先生以外にそれを使うのは駄目ですよ」
「………………そんなことしませんよ、殺せんせー」
「(目!目が笑ってないよ生駒さん!)」
「(間がこえぇ!)」
「(生駒さんキレてる……?)」