師匠の時間

 E組では週に一時間、イリーナ先生が担当する英会話の授業がある。この授業は英語によるコミュニケーションの充実を図ることに重きを置いていて、海外ドラマを観ながら発音の確認をしたり、イリーナ先生の経験談から使えるフレーズを教わるなどといった内容で行われている。ドラマは中学生の私達が見るには大人向けすぎる内容だったり、先生が教えてくれる会話フレーズには正直いつ使えばいいんだろうって感じのものもある。それでもイリーナ先生の授業はすごく面白くって、今ではE組みんながこの時間を楽しみにしていた。
 イリーナ先生は今でもよく、授業なんて面倒臭いって言っている。確かにイリーナ先生はプロの殺し屋で、この学校にも殺せんせーの暗殺をしに来たのだから、教師として教えることになるなんて予想だにしていなかっただろう。いくらいろんな経験を積んでいても、教師なんてのは未経験のはず。それでもこうして素晴らしい授業をしてくれるイリーナ先生を私は尊敬していた。もちろん殺せんせーや烏間先生もだけど。うちの先生方は本当に素敵だと思う。もしも今、尊敬する大人はと聞かれたら、私は迷わずこの三人の先生の名前を挙げるだろう。

「……きゃっ!す、すみません」
「いや、こちらこそ失礼した」

 なんてことをぼんやり考えながら廊下を歩いていると、擦れ違いざまに人とぶつかってしまった。慌てて謝罪すると、ぶつかってぐらりと傾いた私の身体を支えてくれたその人は、私の頭にポンと手を置いてそのまま廊下を歩いて行った。……誰だろう?あの人。学園の先生ではないし、防衛省の人とも違う雰囲気。だったら烏間先生が手引きしている暗殺者なのかなぁ。

「(どんな人なんだろう……)」
「かなえー」
「あ、今行くー!」

 私が直接関わったことのある暗殺者は今のところイリーナ先生だけだ。あの人のことをよく知る機会はあるのかな、なんて少しだけ楽しみになりながら、私は菅谷の待つ靴箱へ急いだ。

 そのぶつかった男の人の正体は、次の日にすぐわかった。

「先生、あれ…」
「気にするな。続けてくれ」

 体育の授業中のことだ。いつものように私達が暗殺の訓練を受けていると、向こうの木陰からイリーナ先生と殺せんせーと昨日の男の人がこちらを……というか、烏間先生を凝視していた。なんか、狙ってる?殺せんせーならわかるけど、どうして烏間先生を。ナイフで彼らの方を指す陽菜乃ちゃんに、烏間先生は溜め息混じりにそう言って話してくれた。
 あの男の人はなんとイリーナ先生のお師匠さんなんだそうだ。ロヴロさんという名のその人は、昨日の放課後イリーナ先生をこの任務から引き上げさせに来ていたらしい。それを殺せんせーが止め、イリーナ先生とロヴロさんにある提案をした。その提案というのが、今日一日の間にどちらが烏間先生を殺せるかどうかという……もちろん、本物のナイフでなく対先生ナイフでの暗殺、らしいけど。それでイリーナ先生が勝てたら、先生はここで暗殺を続けられるみたい。

「迷惑な話だが君等の授業に影響は与えない。普段通り過ごしてくれ」
「(大変だなぁ……烏間先生も)」

 それから私達生徒は至って普通に過ごし、お昼休みになった。私は今日も優月ちゃんと有希子ちゃん、原さん、奥田さんと一緒にお昼ご飯。原さんはよくおかずを多めに作ってきてお裾分けしてくれるんだけど、それがすっごく美味しいの。

「本当、原さんはお料理が上手ですね!」
「うん!ね、原さん、今度お料理教えて?」
「いいよ。私でよかったら」

 卵焼きをひと切れぱくり。美味しい!原さんはE組の女の子中で一番家庭科が得意で、特にお料理が上手。そういえば、男の子の中で家庭科が一番得意なのは村松くんだっけ。……ちょっと意外だなんて失礼なことを思っちゃったのは私だけの秘密。この間の家庭科の授業では二人が火花を散らし合っていて、面白かったな。

「原さんに教えてもらったら、私の料理の腕も上がるかなぁ」
「いこまさん、今でも上手じゃない?」
「うん、この前くれたマフィンすごく美味しかったよ」
「うーん……。お菓子はよく作るんだけど……」
「誰か食べさせたい人がいるのー?」

 料理のレパートリーも増やしたいな、なんて思いながら言うと優月ちゃんが悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言った。顔が赤くなるのを感じていると、原さんや奥田さんや有希子ちゃんまでもがにっこりと意味深に笑う。も、もう……修学旅行以来こうやってからかわれることが増えちゃった。
 話題を変えておしゃべりしながら食べ進めていると、ふと窓へ目を遣った優月ちゃんが「あ、ビッチ先生と烏間先生だ」と指をさした。私達もつられて外を見る。木の根元に座ってお昼ご飯を食べている烏間先生のところへイリーナ先生が近付いて行って、なにやら話をしているようだ。

「殺る気か?ビッチ先生」
「千葉くん……」

 いつの間にか他のみんなも窓際に集まり、イリーナ先生を見守っている。ドキドキしながら握る手に力が篭った。
 結果から言うと、イリーナ先生の暗殺は大成功だった。先生お得意の色仕掛けをもって行うのかと思いきや、脱ぎ捨てたスーツの上着に仕込んでいたワイヤートラップを用いて烏間先生の上を取ったのだ。それから……最終的には烏間先生が降参したように見えたのだけど、イリーナ先生は見事烏間先生にナイフを当てた。

「すっげえビッチ先生!」
「これでビッチ先生、残留決定だねっ!」
「うん!」

 教室内がわっと湧く。殺せんせーの決めたルールにのっとれば、カエデちゃんの言う通りってことになるのだ。イリーナ先生にはこれからもたくさん教えてもらいたいから、本当によかった!ガッツポーズをするように両手を握るイリーナ先生に向かってにっこり笑い、私も拍手を送った。