暗殺の訓練が始まって、もう四ヶ月が経った。ナイフの扱いにも段々慣れてきた気がする。それでもまだ烏間先生にナイフを当てるには至らないのだけど。私の順が済んだので後ろの方へ並び直す。前原くんと磯貝くんのコンビは烏間先生にナイフを当てられる回数が増えたようだ。さすが二人のコンビネーション!
そして今日の訓練も無事に終わった。校舎へ戻りながら放課後みんなでお茶していこうなんて話す。すると、知らない大柄の男の人がグラウンドへ向かって来ていた。ダンボール箱や紙袋をいくつも持っている。誰だろう……?
「俺の名前は鷹岡明!!今日から烏間を補佐してここで働く!よろしくな、E組の皆!」
その人はそう言って明るく笑った。烏間先生の補佐ということは、あの人も先生としてやって来たということ?その人――鷹岡さん、が持って来た紙袋やダンボールの中身は飲み物やケーキなどのお菓子だった。それも結構高級なお店のもの。鷹岡さんはみんなにそれらを食べるよう勧めると自分も腰を降ろした。E組のみんなと早く仲良くなるには一緒に食事するのが一番だろう、って。
「同僚なのに烏間先生とずいぶん違うスね」
「なんか近所の父ちゃんみたいですよ」
「ははは!いーじゃねーか父ちゃんで。同じ教室にいるからには…俺達家族みたいなもんだろ?」
そう言って笑う鷹岡さんは、確かに烏間先生と比べると明るくてフレンドリーな人に見える。だけど……なんだろう、じわりと湧き上がるこの違和感のようなものは。
「あれ?叶ちゃん、食べないの?」
「あー…私ちょっとトイレ行ってくるね」
みんなは食べ物を囲んで鷹岡さんと楽しそうに話しているけれど、私はなんとなくその輪に加わる気分になれず一言断って校舎へ向かった。校舎の前では烏間先生と烏間先生の部下の園川さんが硬い顔で話している。二人は私に気付くとぱたりと会話を止めた。
「烏間先生、あの人これから先生の補佐をするって本当なんですか?」
「……ああ。上からの通達で俺は暗殺者の手引きに専念し、代わりにあいつが君達の訓練を全て行うことになった」
「……そう、ですか」
「……どうした?」
「あの、上手く言えないんですけど……なんだかあの人、ちょっと嫌な感じがするというか……」
烏間先生の同僚で、今日会ったばかりの人にこんな印象を抱くのは失礼だろう。だけどなんでかわからないけれど、とにかくあの人のことは好きになれないなとはっきり思った。談笑している鷹岡さんとみんなを肩越しにちらりと見遣る。あんなに親しげな鷹岡さんの笑顔も、先程の「家族」や「父ちゃん」といった発言もどこか胡散臭く感じた。
次の日からさっそく鷹岡、先生の授業が始まった。みんなともすっかり打ち解けた様子で、私が抱いた嫌な感じはただの杞憂だったのかな……。
「訓練内容の一新に伴って、E組の時間割も変更になった。これを回してくれ」
鷹岡先生はまず新しくしたという時間割を配った。それを見て……みんな絶句する。時間割の大半を埋めるのは「訓練」の文字だった。平日は一時間目から十時間目まであるが、勉強の時間は三時間目まで。あとは夜の九時まで全て訓練となっていた。こんな時間割を本気で……!?鷹岡先生はこんなのは当然で、理事長先生にもちゃんと承諾してもらったのだと言う。
「この時間割についてこれればおまえらの能力は飛躍的に上がる。では早速…」
「ちょっ…!待ってくれよ、無理だぜこんなの!」
前原くんが立ち上がって抗議をした。確かにこんな時間割無理だよ……!せっかく伸びてきた成績もこれでは下がる一方になってしまう。だが、その言葉を聞いた鷹岡先生は、前原くんの頭を掴みそのお腹に膝蹴りを食らわせた。……っ!
「がはっ…!」
「前原!」
「前原くん!!」
「「できない」じゃない、「やる」んだよ」
磯貝くんに続き急いで前原くんに駆け寄る。手加減なんて一切無い本気の蹴りだった。前原くんは腹を抑えながら身体を微かに震わせ、咳き込んでいる。っ、こんな、酷い……!
「言ったろ?俺達は「家族」で俺は「父親」だ。世の中に…父親の命令を聞かない家族がどこにいる?」
今の鷹岡先生の笑みには邪悪さが見え隠れしていた。言葉を失うみんなに鷹岡先生はまずはスクワットを始めるよう命じた。抜けたければ抜ければいいと言いながら、また昨日のような穏やかな表情を浮かべ、私達を「家族」だと呼ぶ。そして鷹岡先生は立ち竦む私達の背後をゆっくりと歩き、有希子ちゃんと三村くんを抱き込んだ。ガタガタと震える有希子ちゃんの頭に手を乗せる。
「な?おまえは父ちゃんについてきてくれるよな?」
「…は、はい、あの…私……」
「(有希子ちゃん……!)」
「……私は嫌です。烏間先生の授業を希望します」
有希子ちゃんは震えながらもにこりと笑ってはっきりとそう言った。しかし次の瞬間バチッ!と大きな音がして有希子ちゃんが倒れ込む。あの人が有希子ちゃんの頬を思いっきり殴ったのだ。カエデちゃん、渚くん、杉野くんが有希子ちゃんに駆け寄る。その様子を見ても鷹岡さんは笑うだけだ。
「文句があるなら拳と拳で語り合おうか?そっちの方が父ちゃんは得意だぞ!!」
「っ……!なにが、父親ですか!!」
「生駒さん!?」
ほぼ無意識の内にそんな言葉が口をついて出ていた。邪悪な笑みを浮かべたままの鷹岡さんがゆっくりと振り返る。怖い、けど、それよりも前原くんや有希子ちゃんに対する仕打ちへの怒りの方が大きかった。
「なんだぁ?父親、だろ?これからこの教室で苦楽を共に過ごすんだ。教師である俺は父親で、お前達は俺の大事な家族……」
「そんな言葉、昨日今日来たばかりのあなたに言って欲しくありません」
「!」
「私は……信頼関係の築けている間柄で、納得できる理由がちゃんとあれば、多少の体罰は有効だと考えています。だけど、あなたのしていることは脅迫と、正当性の無いただの暴力で……っ!」
ひゅっと息が漏れた。一瞬の間をおいて、自分の首が締められ更にそのまま持ち上げられていることに気付いた。地面から離された足が虚しく宙を掻く。ギリギリと鈍い嫌な音が耳に届いた。
「う゛…あ゛ぁッ……!」
「そんな生意気な言葉吐くなんて父ちゃんは悲しいぞ。だけど、今ならごめんなさいを言えば許してやるぞ?」
手の力を少し緩め、「ん?」と謝罪の言葉を促される。持ち上げられているせいでこちらの方が視線が高い。私は詰まりそうになりながらも息を吐き、それからふっと笑ってみせた。ごめんなさいなんて言うつもりは、ない。
「っぅ……暴力でしか、人を従わせ、られないあな…た、なんて……教育者としても、父親としても、三流以、下ですね……あぐっ……!」
「やめろ鷹岡!!」
見下ろしていた鷹岡さんの目がギラリと怪しく光り首に掛けられた手に力が籠った。微かに意識が遠退く感覚がしたが、烏間先生の声が響き、次の瞬間私は地面に投げ出されていた。
「っあ……っ、はッ……!」
「叶!!大丈夫か!?」
解放され、急に入ってきた空気にむせ返る。私の上半身を抱き起してくれたのは菅谷だった。視界の端で烏間先生が鷹岡さんの手首を掴んでいるのが見える。そして烏間先生は私の前に膝をついた。
「大丈夫か、生駒さん。ちゃんと息はできるか?」
「だい…じょぶ、です……」
「神崎さん、首の筋に痛みは?」
「烏…間先生、大丈夫です」
「前原くんは?」
「へ……へーきっス」
烏間先生は私と有希子ちゃんと前原くんに順番に状態を聞いた。よかった……二人とも大丈夫そうで。またひとつ咳き込むと烏間先生に頭をくしゃりと撫でられる。
殺せんせーも止めに入ったが、鷹岡さんは自分の教育論を語りこの“教育”の正当性を主張した。そして鷹岡さんの授業が始められる。最初からスクワットを300回も。男子ですら音を上げるこの授業はきつ過ぎて、私や他の女の子達はついていけない。
「烏間先生〜……」
「おい。烏間は俺達家族の一員じゃないぞ」
泣きそうな声で烏間先生を呼ぶ陽菜乃ちゃんの前に鷹岡さんが立ちはだかる。そしてまた拳を振り上げるが、烏間先生が再びその手を止めた。
「それ以上…生徒達に手荒くするな。暴れたいなら、俺が相手を務めてやる」
「「烏間先生!!」」
鷹岡さんは烏間先生の手を振り払うと、先生とやり合う代わりにとある提案をした。それは烏間先生に生徒を誰か一人選ばせ、その生徒と戦って一度でもナイフを当てられたら、自分はここから出て行くというもの。私達の表情は明るくなるが、鷹岡さんは対先生用ナイフを地面に放り投げた。使うのはこっちだと取り出したのは、本物の……ナイフ。今までこの教室には無かった“ホンモノ”の刃物。私達は再び青ざめた。
「さぁ烏間!!ひとり選べよ!!嫌なら無条件で俺に服従だ!!」
烏間先生は私達を見渡した。その表情は相変わらず読めないけれど、いつも通り真剣な眼差しを私達に向けていた。鷹岡さんが投げ落としたナイフを引き抜く。そして、烏間先生が向かった先は――
「渚君。やる気はあるか?」