「おや生駒さん、おはようございます」
「おはようございます、殺せんせー。遅刻してごめんなさい」
「渚君から聞いていましたから大丈夫ですよ」
登校した頃にはもう一時間目が既に始まってしまっていた。殺せんせーに謝罪して、渚くんにはもう一度お礼を言って自分の席に向かう。途中みんなからは心配そうな顔を向けられたけど今はまだ笑って誤魔化しておいた。
そうしてお昼休み、お弁当を食べ終えて一息つく。ちょっと迷ってるけど……時間はまだ充分ある。磯貝くんがメグちゃんに何か話しに行き、前原くんがひとりになった時を見計らって声をかけた。
「前原くん」
「ん、生駒さん。どーした?」
「ごめんね、少しいいかな?話があって」
「話?」
首を傾げた前原くんは「なんか悩み事?」と心配そうに尋ねてきた。その反応に胸の奥がほわんっと温かくなる。
「悩み事というかなんというか……」
「……わかった。聞くよ」
どう言ったら一番良いんだろと困ってしまったが、前原くんはそう言って「場所変える?」と立ち上がった。みんなもいる教室ではちょっとなと思っていたので、頷いて一緒に別の教室へ移動した。と言っても旧校舎は教室の数が少ないから、適当に理科の実験の時に使うところにした。なんとなく椅子は使わず、入ってすぐの床に並んで腰をおろす。
「それで話って?あ、もしかして今朝遅刻したのとなんか関係ある?」
「……うん。今朝ね、あの子と話してたの」
「あの子って――」
前原くんの台詞の続きを引き継ぐように「A組のあの子」と付け加えた。前原くんは驚いたような困惑したような表情をする。やっぱり唐突過ぎたかな。だけど話すなら今だと覚悟を決め、私はひとつ息をついた。
「前原くん、言ってくれたよね。私のE組行きの理由は私が話したくなるまで待つって」
「……うん」
「心の準備ができたから、聞いてほしいの」
一拍置いて、前原くんは「いいの?」と尋ねる。でも私が「前原くんに聞いてほしいの」と答えると、真剣な顔で頷いてくれた。
私は友達作りが下手だったのかもしれない。それとも、入学したのが独特の校風を持つ椚ヶ丘中学校だからそうなったのだろうか。
入学以来、私には女の子の友達と呼べる人がいなかった。と言っても孤立しているわけではなく、おしゃべりしたり一緒にお弁当を食べる人達はいた。だけど“友達”というよりただの“クラスメイト”と呼ぶ方がしっくりくる、そんな間柄。一年生の頃、何度目かのテストを経てから気づき始めた。私は周りの子達から距離を置かれている、と。あからさまに無視されたり悪口を言われたことはなく、テストの順位が貼り出された時には「すごいね」とみんな言ってくれた。だけどそんな賞賛も、浅野くん達に与えられるものとは――上手く言えないけど、どこか違うと薄々感じるようになった。
「あの子とは二年生の時に同じクラスだったの。席が前後だったからよく話すようになって……」
他の子達よりは壁がなく、ほとんど初めてと言える女の子の友達に嬉しくなったことを今でも覚えている。それまでは対等に普通に仲良くしてくれる人と言えば、浅野くんや五英傑のみんな、それから菅谷くらいだったから。
私はあの子に対して、気さくで明るく素直な良い子という印象を抱いていた。だけど他の女の子達はそう思っていなかったと後々知ることになる。「あの子は自慢話が多くて嫌だ」と疎ましく思っている子が何人かいた。だけど私は特に気にならなかったからあの子と仲良くし続けた。
事が起きたのは二年生もそろそろ終わるという時期のある日。場所は体育後の更衣室で、だった。いつもの通り私とあの子が話していると、A組の女子の中心的ポジションの子達が、あの子に聞こえるように悪口を言い始めたのだ。私達は早く出て行こうと急いで着替えた。だけどその間も悪口の声はどんどん増えていって――
「あの子が今にも泣きそうな顔をしていたから、注意しに行ったの。それでも止めてくれなくって」
「……うん」
「だから腹が立って、口喧嘩になって――つい、叩いちゃった。悪口言ってた子のこと」
――パンッと乾いた音が響いた更衣室はたちまち静まり返った。誰も私がそんなことするなんて思いもしなかったんだと思う。私自身も自分のしたことにびっくりしていた。この子達があの子の……私の友達の、悪口を言うのを止めなかったからだって、私は自分に言い訳をしていた。そんなことを考えている間に、更衣室には誰も……あの子も、いなくなっていた。
「教室に戻ってすぐ気づいたよ。私の傍から誰もいなくなってるって」
悪口の矛先は私に変わっていた。こちらを見ながらヒソヒソと話す輪の中にあの子の姿を見つけた時はショックだった。友達と思ってたのは私だけだったんだな、って。先生にはその日の内に呼び出され、クラスの女子ほぼ全員が、私が暴力を振るったと言っていると聞かされた。先生には恐らくかなり誇張されて伝わっていたと思うけど、もう反論する気も起こらなかった。
「それで先生が『あいつらに謝らないとE組に落とすぞ』なんて言うから、思わず『じゃあそれでいいです』なんて返しちゃった」
その先生は日頃から面倒事を嫌う人だったから、そんな理不尽な交換条件を出すのも特別意外ではなかった。投げやりにそう言った私に驚く先生を放って、私はそのまま帰宅した。
結局、あのクラスに私の友達なんていなかったんだな。唯一そうだと思ってた子すらあんなにあっさり離れてしまうなんて。友達ってなんだろう……家に帰ってからもずっとそんなことを考えていた。そしてその一方で、友達――特に女の子の友達を作ることは諦めきれず、E組に微かな希望を抱くようになっていた。
「――そんな感じで、私はE組に来ました」
前原くんはずっと黙って聞いてくれていた。ちょっとスッキリした……けど、途中から怖くて前原くんの方を見れなかった。だって、暴力沙汰が原因だなんて、きっと引かれる。
「……あのさ、浅野達はどうしてたんだ?」
「え?」
「生駒さんがA組の女子と揉めてE組行きになるってんなら、あいつらなら仲裁入ったり生駒さんの味方しそうだけど」
前原くんが真っ先に聞いたのはそれだった。浅野くん達は確かに、私のことをすごく心配してくれて取り成そうとしてくれた。
「でも、断ったの。これは女子の問題だから口を挟まないでって……」
私への悪口の中には、「浅野くんや五英傑のみんなと仲が良いからって調子乗ってる」みたいなのもあった。「どうせまた泣きつくんでしょ」とまで言われたものだから腹が立って、じゃあ私は独りで戦ってやる!って意地になっちゃった。ほぼ八つ当たりのように浅野くん達まで拒絶してしまった。思い返せば酷いことをしたものだ。――なのに、彼らは今も私を気にかけてくれて……今更遅いけど、ちゃんとあの時のこと謝らなくちゃ。
「……ありがとな、話してくれて」
「え……ひ、引かないの?」
「へ?何に?」
またモヤモヤと考えてるいると、前原くんは私の方へ顔を向けてそう言った。絶対、引かれると思ってた。私のE組行きの理由が暴力沙汰だなんて。そう言うときょとんとしていた前原くんは、片眉を下げて笑った。
「ひかねーって!暴力沙汰っつっても、聞いた感じじゃA組の女子が大袈裟に言ったんじゃん?」
「で、でも」
「それに生駒さんは、友達が悪口言われてたから怒ってそうしたんだろ?」
「だから引かないよ」前原くんはそう言って優しく笑う。その笑顔になぜだか涙が出そうになって、慌てて俯いた。
「それにしても生駒さん、ちょっと喧嘩っ早いなとは思ってたけど、昔からなんだな〜」
「……うぅ」
悪戯っぽく言うその声色も、私の背中をポンポン撫でる手も優しくて、暖かくて。こんな話をしている時になんだけど、私はやっぱり前原くんが好きだなって感じた。