正体の時間

 すすき野原では、露出の多いワンピースにマフラーというアンバランスな格好をしたカエデちゃんが待っていた。殺せんせーが今すぐ触手を抜くべきだと言っても聞く耳を持たない。

「…茅野。全部演技だったの?楽しかった事色々したのも、苦しい事皆で乗り越えたのも」
「演技だよ。これでも私役者でさ」

 渚くんが辛そうに尋ねたことにもカエデちゃんは笑顔でそう答えた。鷹岡先生の時や死神の時、正体がバレないようずっとひ弱な女の子を耐えていたと話す。全てはお姉さん……雪村先生の敵を討つため。

「…知ってるよ茅野。二年の三月…二週間ぽっちの付き合いだったけど、熱心ですごく良い先生だった」
「そんな雪村先生を殺せんせーはいきなり殺すかな?そういう酷い事…俺等の前で一度もやった事ないじゃん」
「…ね、殺せんせーの話だけでも聞いてあげようよカエデちゃん」

 竹林くんや杉野くんが疑問を投げかけ陽菜乃ちゃんが説得するが、カエデちゃんはそれを無表情で聞いているだけ。続けてカルマくんとイトナくんが忠告をするが、もはや誰の声も届いていないようだ。カエデちゃんの触手にゴウッと炎が纏う。そしてその炎で自分と殺せんせーだけを囲うリングを作った。

「やめろ茅野!!こんなの違う!!僕も学習したんだよ!自分の身を犠牲にして殺したって…後には何も残らないって!!」
「自分を犠牲にするつもりなんてないよ、渚。ただコイツを殺すだけ」

 「そうと決めたら一直線だから」そう言ってカエデちゃんは地面を蹴った。まるで火山弾のような攻撃が次々と殺せんせーを襲う。カエデちゃんが今まで見たどの暗殺よりも殺せんせーを追い詰めていることがわかった。きっと今までずっと近くで先生の動きを見ていたから、あれ程までに闘えるんだろう。過去に同じように触手を持ち殺せんせーと闘ったイトナくんが認めるほど、今のカエデちゃんは強い。しかしその顔は早くも狂気に満ち始めた。触手の精神浸食がもう始まっているのだ。

「……あそこまで侵蝕されたらもう手遅れだ。復讐を遂げようが遂げまいが、戦い終わった数分後には死ぬと思う」
「そんな……!」

 「死んで、死んで!」と殺せんせーに触手を撃ちこむカエデちゃんの方が今にも死んでしまいそうだ。このままカエデちゃんが触手に浸食されていくのを見ているしかできないの?だけど、あの闘いの中をどうやって割り込んで行けば……!?その時、私達の前に殺せんせーの顔だけが現れた。

「手伝ってください!一刻も早く茅野さんの触手を抜かなくては!」

 殺せんせーは今のカエデちゃんは非常に危険な状態だと知らせた。しかし触手を抜こうにも、双方の殺意が一致している間はそれは不可能で、イトナくんの時のように時間をかけて説得している暇はない。だから殺せんせーは戦いながら触手を抜くために、あえて自分の最大の急所――ネクタイの下の心臓を突かせると言った。その瞬間にだけ、触手の殺意は一瞬弱まる。

「その瞬間、君達の誰かが…『茅野さんの殺意』を忘れさせる事をして下さい」
「……殺意を…どうやって?」
「方法は何でもいい。思わず暗殺から考えが逸れる何かです」

 触手とカエデちゃんの殺意の対象は殺せんせーだから、こればかりは先生がやっては逆効果になる。だから殺せんせーは私達に手伝いを求めたんだ。

「…その間ずっと先生の心臓に茅野の触手が?先生が先に死ぬんじゃねーの?」
「上手いこと致死点をズラすつもりですが…まあ先生の生死は五分五分でしょう」
「五分って…そんな」
「でもね、クラス全員が無事に卒業できない事は…先生にとって死ぬ事よりも嫌なんです」

 カエデちゃんの攻撃で殺せんせーの分身が乱れる。先生は三十分後に決行すると言い残して戻った。私達は私達で急いで考えを巡らせる。あんな状態のカエデちゃんの意識を殺せんせーから外す方法……いったい、何を。  必死に考えている間にカエデちゃんが殺せんせーの胸に触手を撃ちこんだ。一瞬力が緩んだ隙を逃さず殺せんせーはカエデちゃんを拘束した。カエデちゃんの意識を逸らすには今このタイミングしかない!

「渚……」
「渚君…」

 二人の前に進み出たのは渚くんだった。睨み付けるカエデちゃんを静かに見つめていた渚くんは――

「!!」

 タッと一歩踏み出したかと思うと、次の瞬間には渚くんはカエデちゃんの頭を押さえキスをした。みんなが声も出せないくらい驚いている中、1HIT、2HITと重ねていく。6HIT目辺りでカエデちゃんの目に光が戻り、顔がたちまち真っ赤になった。それでも渚くんは唇を離さず、カエデちゃんが気絶するまでキスを続けた。

「殺せんせー、これでどうかな」
「満点です渚君!今なら抜ける!」

 くたぁっと地面に倒れ込んだカエデちゃんを支える渚くん。殺せんせーはすかさず触手の除去に取りかかった。

「王子様〜。キスで動きを止めるとはやるじゃないか」
「……殺意を一瞬忘れさすには有効かと思って。茅野にはあとでちゃんと謝るよ」

 触手は無事カエデちゃんから取り除くことができた。みんなが安堵する中、カルマくんと莉桜ちゃんがさっそく渚くんを冷やかしに行く。確かにすごく有効な手段だったけど……びっくりした。渚くんがまさかあんな手に出るとは。イリーナ先生は「まだまだね」と言って渚くんの顎をくいっと持ち上げる。

「この私が強制無差別ディープキスで鍛えたのよ。40HITは狙えたはずね」
「ウム…俺なら25は固いぞ」
「な、なんで私の方見ながら言うのかな陽斗くん」

 陽斗くんと、カルマくん莉桜ちゃんの視線が痛い。だけど殺せんせーの咳き込む声が聞こえ私達の意識はそちらへ向いた。血を吐く殺せんせーは相当なダメージを受けていることがわかる。その上誰かの狙撃が先生を狙った。

「瀕死アピールも大概にしろ。まだかわす余裕があるじゃないか」
「シロ…!」

 シロさんと――黒い衣服で頭まで覆い隠した知らない人物。カエデちゃんの暗殺をどこかからかずっと見ていたようだ。シロさんは素顔と地声を露わにし、隣の人に「二代目」と声をかけると去って行った。

「……ケ。あんな奴のブサイクな素顔なんてどーでもいいわ。それよりこっちだ。目ェ覚ましたぜ」

 シロさん達の去った方を見続けていたが、村松くんの言葉にはっとして駆け寄る。カエデちゃんの意識ははっきりしているようで殺せんせーはホッと息をついた。渚くんが平気かと声をかけると、カエデちゃんは微かに頬を染めて顔を逸らす。そして、ぽつりぽつりと続けた。最初は純粋だった殺意も、E組で殺せんせーと過ごすうちに確信が持てなくなったこと。だけど触手が思いとどまることを許さなかったこと。

「…バカだよね。皆が純粋に暗殺を楽しんでたのに、私だけ1年間ただの復讐に費やしちゃった」

 そう言ってカエデちゃんは自嘲の笑みを浮かべるが、渚くんはカエデちゃんもE組の仲間だと言い切った。私も、みんなもそう思っているに違いない。どんな目的を持っていたとしても、一緒に過ごした時間――笑い合い、楽しんだ時間に変わりはないのだから。

「殺せんせーは皆揃ったら全部話すって約束した。先生だって聖人じゃない。良い事ばかりしないのは皆知ってる。でも、聞こうよ。皆で一緒に」
「…うん。ありがと…。もう、演技やめていいんだ…」

 そう涙を流すカエデちゃんは、もう演技をしていなかった。これでカエデちゃんの気持ちも整理でき、E組全員がちゃんと揃った。あとは、殺せんせーの過去を教えてもらうことだけ……。いつものように磯貝くんが代表して口を開く。並大抵の覚悟や決意じゃなかったカエデちゃんの暗殺は、殺せんせーの過去と雪村先生、そして私達とも繋がっている。だから、

「――話してください。どんな過去でも…真実なら俺等は受け入れます」

 磯貝くんの言葉と私達の視線を受け、殺せんせーは静かに息をつき、過去の話はしたくなかったと打ち明けた。それでも語ることを決めたのは、私達の信頼と絆を失わないため。

「夏休みの南の島で、烏間先生がイリーナ先生をこう評価しました。『優れた殺し屋ほど万に通じる』。的を得た言葉だと思います。先生はね、教師をするのはこのE組が初めてです。にも関わらず、ほぼ全教科を滞りなく皆さんに教える事が出来た。それは何故だと思いますか?」

 誰かがハッと息をのむ声が聞こえた。今の言い方はつまり、万に通じた殺せんせーも、優れた殺し屋だということ?いや、今そうであるのではなく、もしかして……。竹林くんが「まさか」と呟く。

「そう。二年前まで先生は…「死神」と呼ばれた殺し屋でした」

 私達の驚いた表情を見回し、殺せんせーは「それからもう一つ」と自分の胸に触手を当てる。

「放っておいても来年三月に先生は死にます。一人で死ぬか地球ごと死ぬか……暗殺によって変わる未来はそれだけです」

 そうして殺せんせーはゆっくりと過去を語り始めた。





「――先生の過去の話は以上です。なお不明な点や…疑わしい点がある人は指摘してください」

 殺せんせーは約束通り全て話してくれた。自分の経歴、超生物になるまでの経緯、雪村先生との関係、そして教師になった理由、全てを。先生の話を疑う人はカエデちゃん含め一人もいなかった。雪村先生の死について殺せんせーに責任を問う人もいない。私は先生とは会えずじまいだったけど、みんなからどんな先生だったかは聞いていた。殺せんせーは、自分の恩師だと呼んだ雪村先生のように、私達をしっかり見て教育してくれた。自らの命を使った暗殺教室で。そうして私達は、暗殺を通して心の闇を晴らすことも成長することもできた。どうして殺せんせーを責めることができるだろう。

「前にも言いましたが、先生と君達を結びつけたのは暗殺者と標的という絆です」

 そういう関係だったから、担任と生徒としても出会うことができた。そういう関係だったから、私達は本気で真剣に殺せんせーにぶつかっていけた。そして先生を殺すことで、この絆は修了できる。私達が手を下す以外にも殺せんせーの命を終わらす選択肢はある。無関係の殺し屋が殺すか、出頭して殺処分されるか、先生が自殺するか……期限を迎えて爆発するか。

「…もしもそれらの結末で先生の命が終わったら…我々の「絆」は卒業の前に途切れてしまう。もし仮に殺されるなら…他の誰でもない、君達に殺して欲しいものです」

 殺せんせーは最後にそう言うとゆっくりと私達に背を向けた。すべての話を聞き終えた後、これまでの殺せんせーとの思い出が頭に駆け巡った。どれもこれも楽しかった思い出……殺せんせーと、一緒に楽しんだ思い出ばかり。――この怪物を君達に殺して欲しい――4月が始まったばかりの頃烏間先生に告げられた言葉を思い返す。そして、今まで目を逸らしていた事実を改めて自覚させられた。

 私達はこの先生を……殺さなくてはいけないんだ、と。


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「ごめんな、呼び出して」
「ううん、私も会いたかったから」

 冬休みに入ると前原くんとは頻繁に会った。場所は公園だったりカフェだったり。だけどお互い一緒にいたいだけの気持ちの方が強く、会ってもただ並んで座って過ごすことが多かった。時折思い出したように会話をするものの、内容はもっぱら何気ない日常会話。
 それは菅谷と会った時も、優月ちゃんやE組の女子達と会う時も同じだった。誰もが無意識の内に殺せんせーや暗殺の話題を避けていた。と言っても話に挙げないだけでみんな頭の中ではいろいろ考えていたんだと思う。考えて考えて、殺せんせーの過去や想い、それと自分の気持ちとこれからどうするかをじっくり整理する。冬休みは、そのための期間だったんだ。

「……明日さ、朝どーする?」
「一緒に行きたいな」
「ん。じゃ、そうしよ」

 そんな冬休みも今日でおしまい。明日から三学期が始まる――