『全員で押さえられれば 捕まえられる』それは二学期の期末テストのご褒美として、殺せんせーが私達に教えてくれた弱点だった。あの時はぬるぬると逃げられてしまったが、力を使い切り地面に倒れている今の先生はとても簡単に押さえることができた。殺せんせーを「殺したくない」のも「殺したい」のも、三年E組の総意。絆を守って卒業するため恩師にすべきことはなにか。誰もが痛いほどわかっていた。
殺せんせーの触手をそっと、だけど強く、握る。この黄色い触手に初めて頭を撫でられた時のことを思い出した。
「最後は…誰が?」
「…お願い皆。僕に…殺らせて」
メグちゃんの言葉に名乗り出たのは渚くんだった。だれも文句は言わない。だってこの教室での主席は間違いなく渚くんだもん。殺せんせーは、個々人への細かいことは教室に残してきたアドバイスブックに書いてきたと言う。長い会話は不要、だけどそのかわり、
「最後に…出欠を取ります。一人一人先生の目を見て、大きな声で返事を下さい」
最後の出欠確認、それができたら殺して良し。……その前に、殺せんせーは烏間先生とイリーナ先生に挨拶を残した。穏やかな表情のイリーナ先生、さよならを告げ、初めて殺せんせーの名前を呼んだ烏間先生。私の大好きな先生達の姿に、早くも視界が歪み始めた。
「…では皆さん、出欠を取ります」
「……」
「ま、まさか早退した人いませんよね?このタイミングで返事なかったら先生自殺しますからね」
「早よ呼べ!!」
肝心な時に段取りが悪い先生に、思わずふっと笑みが零れた。そうして、カルマくんから順番に一人ずつ名前が呼ばれていく。
「生駒叶さん」
「……はい」
悔いを残したくないから、最後の出欠確認はしっかりと先生の顔を見て答えた。
「本当に…本当に楽しい一年でした。皆さんに暗殺されて…先生は幸せです」
渚くんがナイフを殺せんせーの心臓に狙い定める。もう、殺さなくてはいけない時間。今までの記憶が走馬灯のように巡り巡った。鼓動が荒れ、触手を握った手が震える。渚くんが悲痛な叫び声と共にナイフを振り上げた。
「そんな気持ちで殺してはいけません。落ち着いて、笑顔で」
殺せんせーはそんな渚くんの首筋に触れ、穏やかに微笑んでそう言った。途端に身体から力が抜ける。息を吸って、吐いて。気持ちを落ち着けて、しっかりと前を見据える。
「さようなら。殺せんせー」
「はい、さようなら」
感謝、惜別、全部の気持ちを刃に込め、魂を注ぐように、全身で礼をするように渚くんはナイフを差し出す。にっこりと笑った殺せんせーは、「卒業おめでとう」と最後にそう言った気がした。
殺せんせーの全身が、眩しく優しく光の粒子になって弾けた。私達が強く握った手から、あっという間に、――消えていった。
叫ぶような泣き声が夜の校庭へ響き渡る。間もなく零時になる、椚ヶ丘中学校卒業の日。一足先に私達は――…暗殺教室を卒業した。
翌朝、小鳥のさえずりで目が覚めた。頭を上げると枕にしていた分厚い本が目に入る。
あの後、殺せんせーの面影を探して教室に戻ると、全員の机に卒業証書と卒業アルバム、そしてそれぞれへのアドバイスブックが置いてあった。殺せんせーらしい分厚く細かいそれらに目を通している内に眠ってしまっていたようだ。音をたてないようにそっと立ち上がり、固まった身体を解すように両腕をぐっと上に伸ばす。
「叶」
「陽斗くん」
ぼんやりと窓の外を眺めていると、いつの間にか起きていた陽斗くんにぎゅっと抱きしめられた。再び外へと目を遣ると、早咲きの桜が小さく揺れるのを見つけた。
みんなが起きた頃、烏間先生が来て昨日のことを説明してくれた。いつの間にかレーザーは撃たれたそうだ。その後で来た現場検証部隊は烏間先生が相手してくれて、教室の中を私達だけにしてくれたらしい。
「君達には納得出来ない事もあるかもしれない。しばらくは注目されて大変と思うし機密事項の口止めなども頼む事だろう。もちろん出来る限り君等を守るが…俺から先に謝らせてくれ」
烏間先生はそう言って頭を下げた。でも、大丈夫だ。私達もうまく平穏におさまるように努力するから。先生を困らせたくないもの。その代りに、今日の卒業式に出る願いさえ叶えられれば。烏間先生は手配すると言ってくれた。そして磯貝くんの号令で全員起立する。
「烏間先生、ビッチ先生。本当に色々教えて頂き、ありがとうございました!」
もう二人の大切な先生達に、全員で声を揃えて頭を下げた。
親に持って来てもらった制服に着替え、卒業式の会場である市民会館へ向かった。式の最中思い出すのは、殺せんせーが一年間で教えてくれた様々な戦い方。これから先何が待ち受けていたって、私達はきっと大丈夫。あの独特な笑い声を思い出し、じわりと涙が浮かんだ。
「――終わったな」
「おう。この後どーすんだろーな?また旧校舎?」
「さあ……でもとにかく、みんなと写真撮りたいな」
式が終わると、陽斗くんと菅谷と並んだ。二人の手を握ってみるとどちらからもすぐに握り返された。一瞬一瞬を大切にしながら歩みを進める。
すると、この場に似つかわしくない騒音が飛び込んできた。たくさんのマスコミが押し寄せて、無神経な言葉とカメラやマイクを向けてきた。苛立つけれど、烏間先生の姿を見つけてみんな口を噤む。バスが待機している駐車場へ急ごうとすると、五英傑のみんなを筆頭に本校舎の生徒達が私達とマスコミとの間に割り入った。私達の頭上には椚ヶ丘学園の大きな旗が掲げられ、顔や身体がマスコミから隠される。
「大半が今日で縁もゆかりも無くなるとはいえ、仮にも同じ学校で学んだ生徒だ。見捨てれば支配者の僕の恥になる」
「浅野くん!」
「ありがとう」とその背中に声をかけると、浅野くんは振り返った笑った。
「赤羽、ほとぼりが冷めた頃…たっぷり吊るし上げて吐いてもらうぞ。君等をここまで育てた担任、殺せんせーとやらの話をな」
「別にいいけど浅野クンの固い頭じゃ全部理解は難しいかな〜」
「フン。叶さんも是非聞かせてくれ。君を変えた先生と過ごした一年のことをね」
「もちろん!浅野くん、きっとびっくりするよ」
なにせ二度とないと言い切れるくらい濃い日々を過ごしたのだ。「楽しみにしてるよ」と笑った浅野くんに手を振り、バスへと乗り込む。
こんなにいろいろ泣かされる日も、もう一生ないだろう。本校舎のみんなを見つめていると、あの子やA組のみんなと目が合った。彼女達にも「ありがとう」と呟いて手を振る。私の目から溢れた涙が、頬を伝って零れ落ちた。